虎に翼の久藤頼安って実在する人なのかな?
そんな疑問にお答えするために、この記事では下記の内容についてまとめています!
・虎に翼の久藤頼安ってモデルになった人いる?
・虎に翼で久藤頼安はどうなるの?
虎に翼の久藤頼安って実在しているの?
虎に翼の久藤頼安は、実在する人物ではありません!
そもそも、「虎に翼」自体がフィクションとして制作されている作品であり、主人公の猪爪寅子も日本で初めて女性弁護士となりその後裁判官になった三淵嘉子さんがモデルになっています!
なので、「虎に翼」の主人公となる猪爪寅子自体が実在しない人物なので、その周辺の人物である久藤頼安も実在しないことになるでしょう!
まぁ、流石に久藤頼安(ライアン)みたいな個性的な人があの時代に実在しているとも考えにくいですからね!
ちなみに、「虎に翼」の劇中で久藤頼安(ライアン)は、世が世なら久藤藩藩主で「殿様判事」と言われていました。
しかし、調べてみたところ「久藤藩」と呼ばれる藩は実在しておらず、「明治大学」をモデルにした「明律大学」みたいに架空の藩という事になるでしょう!
虎に翼の久藤頼安のモデルになった人物は誰?
虎に翼で、久藤頼安のモデルになったと予想されている人物は、内藤頼博(ないとう よりひろ)さんです!
「内藤頼博」さんが、「虎に翼」の久藤頼安のモデルになったと予想されているので、両者の情報を比較してみます!
内藤頼博
・旧信州高遠藩主内藤子爵家の第15代当主として生まれる
・1945年以降に司法省民事局第3課長に就任
・裁判所法の改正等の作業をしていた
・裁判所では「ライハク」と呼ばれていた
久藤頼安
・世が世なら久藤藩藩主だった
・役職は民事局民法調査室主任
・新しい憲法に即した法改正の仕事を行っている
・自分の事を「ライアン」と名乗っている
こうして比較してみると、共通点が多いように感じますし、そもそも「内藤頼博」と「久藤頼安」で名前も似ていますね!
特に、「元藩主の家柄」という所が共通していますし、司法省で法改正の仕事をしている部分もモデルになっているのではないかと思わせる部分です!
さらに、久藤頼安が「虎に翼」の劇中で自分の事を「ライアン」と名乗っていたもの、内藤頼博さんが「ライハク」と呼ばれていたのが由来だったのですね!
とはいえ、内藤頼博さんは久藤頼安と違って西洋かぶれではなかったんじゃないかとは思いますが、「ライハク」と他の人に言われていたくらいだからもしかしたら実際には西洋かぶれだった可能性もあるかもしれませんね!
ちなみに、虎に翼の登場人物の1人である多岐川幸四郎のモデルとなった人物については、「こちらの記事」でまとめています!
虎に翼の久藤頼安ってどうなるの?
虎に翼で久藤頼安がどうなるかは、後々弁護士になるのではないかと予想します!
まず、久藤頼安のモデルとなった人物と予想されている内藤頼博さんは、後に「広島高等裁判所長官」・「東京家庭裁判所長」・「名古屋高等裁判所長官」を歴任することになります!
その後、内藤頼博さんは1973年に弁護士となり、その傍らで「多摩美術大学学長」・「多摩美術大学理事長」等の役職を務めることになるのです!
そのため、久藤頼安も「虎に翼」の劇中で裁判所の所長になるのかもしれませんし、後々弁護士の道へ行く可能性も考えられるでしょう!
ただ、主人公の寅子は後々新潟へ赴任することになりますので、久藤頼安にそこまでの出番はない可能性もあるでしょうが!
虎に翼で久藤頼安は実在するのまとめ
虎に翼で久藤頼安について、下記の内容をまとめてみました!
・虎に翼の久藤頼安ってモデルになったは内藤頼博さんと予想されています!
・虎に翼で久藤頼安はどうなるのかは、弁護士になると思います!
虎に翼で久藤頼安にどれだけ出番があるのかも注目していきたいですね!
コメント