
風、薫るの島田健次郎ってモデルになった人いるのかな?
この記事では、そんな疑問にお答えする為に、下記の内容をまとめてみました!
・風薫るのシマケンは実在する人物なの?
・島田健次郎はその後どうなるの?
風薫るの島田健次郎にモデルは?

下記の人物が予想されます!
鄭永慶
一ノ瀬りんのモデルとなった大関和さんは、後々離婚して上京します。
その後、先祖代々幕府の中国語の通訳「唐通事」として徴用されていた鄭家に、女中として働くことになりました。
そして、鄭永慶氏は鄭家の当主である鄭永寧氏の次男です。
また、鄭永慶氏は「明治のナイチンゲール 大関和物語」では、下記の様な人物であると書かれていました。
・京都のフランス語学校で学んだ
・その後、アメリカのイェール大学へ留学を果たす
・しかし、腎臓を患ったことで日本へ帰国
・治療後は乞われて岡山の師範学校で教頭を務めていた
・その後、帰郷して大蔵省に職を得ていた
そして、「風、薫る」での島田健次郎ことシマケンは、「NHKの公式サイト」では下記の様に書かれていました。
・新しく生まれた言葉や外国語に深い知識を持ってる
・一ノ瀬りんにとって良き相談相手になっていく
外国語に詳しいという点では、鄭永慶氏と島田健次郎は共通していると考えられます。
また、大関和さんに対して鄭永慶氏は、下記の様に助言をしていた事も書かれています。
・外国語に興味があるなら英語を学ぶよう勧める
・知り合いの植村正度氏が経営する、新橋の英語塾を紹介
・鹿鳴館で英語塾で習った英語を試してくるよう勧める

なので、相談相手という部分でも、当てはまっていると言えますね!
植村正久
大関和さんは、英語を学ぶために、植村正度氏が経営する新橋の英語塾に通います。
そして、植村正度氏の紹介で、兄である植村正久氏の教会に通うようになるのでした。
植村正久氏は、正規の看護婦になる事を大関和さんに勧めた人物です。
なので、植村正久氏も相談相手という点では、島田健次郎ことシマケンと共通してると言えます。
また、植村正久氏の幼名は道太郎だったので、苗字と併せると植村道太郎になるでしょう。

だから、島田健次郎と少し名前が似てるかもしれないですね!
大山捨松の兄
その後大関和さんは、陸軍卿である大山巌の妻である大山捨松さんと、交流する事になります。
そして、大山捨松さんには健次郎という兄がいて、イェール大学に留学していた事が書かれていました。
ただ、健次郎という人物はこの時名前が出ただけで、その後大関和さんと面識もありません。

さらに、風薫るには名前そのままで大山捨松が登場するので、島田健次郎は兄ではないと推測できます!
風薫るのシマケンは実在する人物?

実在する人物ではありません!
「風薫る」は、大関和さんをモデルとした一ノ瀬りんと、鈴木雅さんがモデルとなった大家直美の2人が主人公となっている朝ドラです。
そして、2人の物語を再構成してフィクションとして描いていますので、登場人物名や団体名等は一部改称されています。

だから、周辺の人物等も基本的には、実在しない人物という事になるのです!
島田健次郎はその後どうなる?

モデルと予想される人物から、下記の様に予想しています!
鄭永慶
大関和さんが鄭家の女中を辞めて以降は、下記の様な人生を辿っていました。
・妻が男児を出産するけど、妻は22歳の若さで亡くなる
・再婚するけど、再婚相手も22歳で亡くなってしまう
・鄭家が火災で焼失してしまう
・大蔵省を辞めた後、借金をして屋敷跡地に洋館を建てる
・日本で最初の喫茶店と言われる「可否茶館」の営業を開始
・しかし、その後経営が行き詰って、借金を重ねて返せなくなってしまった
・その後、西村鶴吉という偽名を使って、アメリカへ密航
・シアトルで皿洗いなどしながら生活していたけど、明治28年(1895年)に37歳で命を落とす

なので、少なくとも一ノ瀬りんが女学校に通う事になって以降は、登場しなくなるかもしれません!
ただ、大家直美は「風、薫る」で後々、留学を夢見て渡航しようとします。
なので、大家直美が渡航しようとするタイミングで、再登場があるかもしれないです。
植村正久
大関和さんは、1887年に桜井女学校付属看護養成所へ入学する事になります。
その同じ年に、植村正久さんは一番町教会を設立する事に。
さらに、翌年となる1888年には横浜を出帆し洋行します。
その後も、日本全国だけでなく世界にも飛び回り、伝道者・牧師として活動していくことになります。

だから、植村正久氏がモデルだとすれば、女学校に入学して以降は出番が少なくなるでしょう!
島田健次郎のモデルは風薫るだとまとめ
この記事では、「風、薫る」のシマケンこと島田健次郎についてまとめてみました!

佐野晶哉さんが演じるという事で、注目度が高い人物ですね!

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